ユージュアル・サスペクツ
―映画を見る前にこのテキストを読まないでください―

" ホオズキ 花言葉 『偽り』 "

小説だから成り立つと思われていたプロットが、まさしく映画的な題材で、メタファー豊かな脚本で仕上がった『ユージュアル・サスペクツ』に驚嘆し、監督のブライアン・シンガーに羨望の眼差しを向けるのは私だけであろうか。
こういう映画を見るとある特定の感情が生まれ、それが恋愛感情ではなく、紛れもなく嫉妬であるとの認識するのには、そう多くの時間はかからない。映画を志した人間なら誰しもが心の奥底に潜む、自分でも脚本が書けるのではないか、自分でも映画を作れるのではないか、と言う刺激的な覚醒に心臓の鼓動が高鳴るのを止める事を止められない。
最近の優れた脚本の三作品をあげるならば、クエンティン・タランチーノの『パルプ・フィクション』、アンドリュー・ケビン・ウォカーの『セブン』そして、クリストファー・マクアリーの本作である。これらの作品から見てもわかるように、一つのアイデアをクリエイティブな人間たちが才能という発砲剤で膨らましに膨らましたストーリーが映画を大成功に導いたファクターである。
もう一つ考察するならば、ヒッチコック映画の<マクガフィン>トリュフォー風に解釈するならば、物語の“きっかけ”とか“口実”とかになる。もっと分かりやすい言葉で置き換えるならば、あまりに巧みで緻密な“仕掛け”といったものだろうか。見る側にあっと言わせるエモーションが映画に存在した。
今、ここでブライアン・シンガーの作品について、張りめぐらされた伏線の回収とか、綿密に計算された演出とかを解説するのはあえて省くが、この映画の誕生は、ヒッチコックが“舞台恐怖症”で失敗した<偽りの手法>を見事に映画化した史実として記憶にとどめておかなければならない出来事なのである。
1996年6月



