ジャッカル

―悪趣味映画の典型-

" アジサイ 花言葉 『冷淡』 "

©TOHO-TOWA

そういえば、同時期に公開された『絶体×絶命』もマイケル・キートンとアンディ・ガルシアの共演が話題になったが、ビッグさにおいてはこっちのほうが上だろう。映画を見る時には視点を変えながら、作品に寄り添い、面白いところを見つけ出そうとする努力は必要だ。しかし、つまらなければ、映画館を立てと極論は言わないが、そう思いたくなる時と場合はあるものだ。

『ジャッカル』は、モスクワ、ヘルシンキ、ロンドン、モントリオール、オタワ、トロント、シカゴ、ワシントンD.Cと世界をまたにかける暗殺者ジャッカル(ブルース・ウィリス)の大悪党さを表現するのに、なかなか派手にロケを敢行したものだと関心した。実はこの映画はもともと3時間以上もあった作品だと聞いてそれも納得した(上映時間は2時間5分)。しかし、この映画には品性がまったく感じられない。悪趣味以外のなにものでもないブルース・ウィリスの殺人シーンと本人も満更ではない変装ごっこ。映画のつなぎというかエピソードが今一つ盛り上がりを欠け、不器用さも目立った。もう一人の主役、リチャード・ギアはどうか?『絶体×絶命』の囚人役マイケル・キートンが筋肉隆々で今一つ感情移入が出来なかったのとは対照的に、リチャード・ギアは長年刑務所に入っていたという設定だけに若干体もだぶついており、現実感を生んでいた。

宣伝だとキャッチ・コピーは「毒には毒を」であり、悪と悪の壮絶なる闘いであると喧伝されていたにもかかわらず、リチャード・ギアは完全な“善”である。そのへんアンテナ故障のフレーズになっていて、ノーコンの一言である。『絶体×絶命』との比較で言えば、『絶体×絶命』のアンディ・ガルシアは“善”なんだけど子供の為にはルール無視の“悪”。マイケルは“悪”なんだけども最後は子供の安否を気にする“善”。『ジャッカル』のブルース・ウィリスのみ“悪”に徹しきった役柄で通した。見た映画を相関図的に俯瞰すると『ジャッカル』が、何を描きたいのかが少しばかり浮かんでくる。

1998年4月