プライベート・ライアン

 ―映画の本質を見た―

" サンダーソニア 花言葉 『望郷』 "

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1998年のベスト1の映画は何かと問われれば、迷うことなく『プライベート・ライアン』と答える。公開された映画をすべて見ていなくても導き出せる結論である。私たちは玉石混交の映画の中から映画館に“映画”を見に行く選択をしなければならない。その基準はなにか。私は「映画監督」と答える。人それぞれに目的や動機があるのだからいろいろな選択眼がある。俳優やジャンルで決定する人もいる。職業的見地に立ったならば、美術であったり、衣装(ファッション)であったりする人もいるだろう。しかし、一般の人々が自分の好きな作品にめぐり合うための選択基準を“映画監督”に置くことを早く認識すれば、時間の無駄やお金の浪費をしなくても済む。たとえば、観客が映画監督を小説家と同様の職業人として考え、映画監督も作家であることを知るならば、描く題材や物語が代わっても、基本的に作家の映画の主題はほとんど変わらないからである。

『プライベート・ライアン』のパンフレットに川本三郎、出口丈人両氏の素晴らしい評論が寄稿されているので、私の出番はないがこの映画を見たという証明をしたい。スティーブン・スピルバーグに“今”を語る映画はない。けして忘却してはいけない史実と明日を信じる未来の両面にスポットが当たっている。『プライベート・ライアン』が訴えていることは、最初と最後に描出される逆光の星条旗は反戦を、手に手をとったライアン(マット・デイモン)の孫たちは、史実の継承をする象徴である。

 “映画”とは映画館の大画面で映像を見ること。映画館で大迫力の音響を聴くこと。その二つに集約される。私たち観客はこの映画を見て、ミラー大尉(トム・ハンクス)たちと一緒に戦闘体験をする。つまり、手持ちカメラによるフレームのゆれは兵士たちの視線。また爆音による臨場感は兵士たちの耳である。その五感は戦場に行かないかぎり体験はできないけれど、こんな悲惨な体験をするのなら戦争なんてまっぴらごめん、映画だけで充分である。あっと思う。映画が映画である意義は、われわれ観客が画面の中に入り込み、主人公と一体となることである。

スピルバーグはわれわれに下手くそな演出を見せる。腰抜けのアパム伍長(ジェレミー・デービス)は、建物の2階でドイツ兵と格闘しているメリッシュ二等兵(アダム・ゴールドバーグ)を見殺しにしてしまう。メリッシュを刺殺したドイツ兵は、階段に這いずったアパムの目の前を哀れみながら降りていく。その後、連合軍の応援がやってきて一挙に形勢が逆転する。命乞いをするドイツ兵は、メリッシュを殺したドイツ兵と思ったら、実はアパムが従軍の途中で、捕虜になることを前提に逃がしたドイツ兵であったのだ。アパムはその裏切りに憤りを感じ、彼を射殺してしまう。そのもっていき方は明晰でない。『ブギーナイツ』でも同じような演出がある。素人とSEXをするアダルトビデオの企画に、主演のローラーガールは、ある会社員と一戦をまじえる。その会社員は、学生時代にプライドを傷つけられた悪ガキであるのだが、同一人物であるという映画的説明(身体的特徴や身につけるもの等)がないのでよくわからない。

スピルバーグのレクイエムは、「一人の兵士の為に犠牲になる八人の兵士の不条理こそ戦争そのものである」という単純な反戦論ではないかもしれないが、何回も見て後世に伝えて欲しいと思う、切なる願いがこの映画に込められているのである。

1998年10月

『プライベート・ライアン』日本版予告編 - YouTube

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