一枚のハガキ

ー新藤兼人の再生の物語ー

" ツルニチソウ 花言葉 『幼なじみ』 "

(C)2011「一枚のハガキ」近代映画協会/渡辺商事/プランダス
出典:公益財団法人ユニジャパン

2012年5月29日に脚本家で映画監督の新藤兼人氏が亡くなった。1912年4月22日生まれの満100歳だった。監督作品は、1952年のデビュー作『愛妻物語』から遺作の『一枚のハガキ』まで全49作品。さらに脚本は250本以上に及ぶという。世界の大監督の一人として数えて間違いないだろう。その脚本家兼監督の新藤は、鍛え上げられた才能と強靭な生命力で映画を作り続けた。そしてこの遺作は、ごく単純に規則的であり、構造的ではあるが、繊細さと図太さを兼ね備えた作品となって完成した。

中年兵森川定造(六平直政)と松山啓太(豊川悦司)は戦争末期(昭和19年)に徴集され、予科練習生の宿泊地となる奈良県天理教本部を掃除していた。2段ベッドの上下に寝ている間柄だった定造は啓太に、妻友子(大竹しのぶ)からのハガキを見せ、自分が死んだ時は、このハガキを見たことを妻に伝えて欲しいと依頼する。

この物語のプロットポイントは、前半に定造徴集後の友子と彼の両親の暮らしぶりを描き、中盤に啓太が広島に帰還してからのエピソードをはさみ、後半に啓太が岡山にいる友子を訪問する3部構成になっている。前半では友子を通じて、森川家の家族(父、母、弟)を描き、中盤では啓太とその家族関係を描き、後半では戦争がいかに人間を苦しめ、愚かで呪うべき行為であるかを表現しつつ、啓太と友子が結ばれ再生するまでを丹念に描写している。

この映画を支配している構造は、反復と対比である。たとえば、定造と三平の出征式と遺骨(実際は白木の箱のみ)が戻ってくるシーンの反復や出征前日に定造は妻の代わりに川から水を汲みに行き、妻の負担を軽減するのに対し、啓太は友子を手伝おうと水桶を肩に背負おうとするが、足腰が定まらず、役に立たない。現時点で啓太は定造の代わりが出来ないことを意味する。また、人間を描くという点で、父男吉(柄本明)は生への欲求が強く、友子の気持ちや身体を犠牲にしてまでも生き延びようとするのに対し、妻チヨ(賠償美津子)は、夫に付き添いながらも、最後は自ら命を絶ってしまったように生に固執をしていない。二人の棺桶の大きさや形の差異や対比は深刻な中にも新藤のユニークさが際立っている名シークエンスだ。

映画の画面は、定造が「たとえ霊魂になっても戻って来る」という言葉通り、家の真ん中には、大黒柱として定造が存在し、霊魂が家に宿っているようだ。啓太と友子の食事シーンでは、この大黒柱が真ん中にどんと立って、二人の会話を見守っている、と同時に二人を結びつかせまいと間に割って入っているようだ。さらに、友子が啓太の話を聞いて、後ずさりして、しがみついて泣くのもこの大黒柱だ。

ラストで家が燃えあがるシーンは誰もがわかる通り、葬式を意味している。空の白木の箱が燃え上がると同時に、友子も定造の声に引かれて死にたくなるのだが、そのとき友子が着ていた服は白と黒の縦縞のワンピースで、鯨幕の葬式を連想する。この家が燃えなければならない理由は蓋然的で、墓地へ埋められることのない海で散った亡骸の供養は、白木の箱をろうそくで灯すのではなく、家そのものを燃やすことで完結する。家の焼失は、定造の火葬を意味する。沈静化したあとに二人は、家の柱を一本ずつ丁寧に片付けて行く。つまり、家の柱は定造の骨にあたる。物語上いち早く死んでしまった定造は、大黒柱=家として、画面から消えることなく、物語の進行を見守っていくのである。

そして、このラストシークエンスにつづいて、燃えた家跡の土地を耕し、麦の種をまき、育て、黄金に染まった麦穂を見るとき、新藤兼人が生涯追求してきた「生きているかぎり生き抜きたい」というテーマが画面いっぱいに広がる。人を描き、心が宿る画面を見つめ、人生を深く深く考えることが、生を受けた我々にとって生きる元気の源になるだろう。

 2012年6月

出典:シネマトゥデイ https://www.youtube.com/watch?v=XoVYviosMws