500年の航海
ー天才としか言えないー

" ボケ 花言葉 『先駆者』 "

2019年アテネフランセの新年会で、キッドラット・タヒミック監督の『500年の航海』のチラシを手にして、初めてタヒミック監督の長編映画を見ることができる喜びを配給会社の株式会社創人舎(シネマトリクス)代表の矢野和之氏に打ち明けた。タヒミック監督は、東京ビデオフェスティバル(旧(株)日本ビクター主催/現NPO法人 市民がつくるTVF主催)では、5作品が入賞しているが、TVF規定の20分に短縮された作品しか見ていなかったので、どんな2時間40分あまりの映画体験をさせてくれるのかその日から待ち遠しかった。ギリギリになってしまったが、2月22日(金)最終日の最終回に鑑賞でき、矢野さんとの約束も果たせてホッとした。
初めて世界一周をしたのはマゼランではなく、奴隷として仕えたマラッカ出身のエンリケだと伝記作家シュテファン・ツヴァイクは言う。タヒミックは、その話からストーリを紡ぎだし、家族や友人をキャスティングし、35年目にしてやっと完成?に漕ぎ着けた。それが『500年の航海』だ。私にこの映画の解説は無理だとしても、この映画について語りたいという衝動に駆られる。文化や伝統、自然や環境、政治や経済、自己や家族、地理や歴史、アートやドラマ、そのほかの言い尽くせない映画ジャンルをも縦横無尽に横断し、超越する、なんとも自由で不思議な映画を作ったものか!現在と過去を複雑に接合し、タヒミックが映像に映っていようがいまいが、タヒミックが撮り続けたすべてのカットやシーンにタヒミック本人の息づかいが聞こえる。なんと豊かな“個”の映画であるか、静かに感動する。“私映画”なのだから鑑賞中に退屈になり、無意識に時計やスマホで時間を見ることも構わない。我々は、ただただ映画の船に身を委ねるのみである。
タヒミック氏とは鮮烈な思い出がある。2002年だったか、2003年だったか、確かな時期は忘れてしまったが、当時、山形国際ドキュメンタリー映画祭でアジア映画のディレクションをしていた藤岡朝子氏から連絡があり、東京ビデオフェスティバル事務局にタヒミック氏が来訪するとのこと。何が目的かわからなかったが、対応したのは私だった。初対面だった。彼は、「フィリピンで子どもたちと一緒に映画を作る」「映画作りの目的は、子どもたちの創造性を広げたい」「映像作りの楽しさを伝えたい」「映像で自己表現ができる」そんなことを延々と1時間くらい話続けた。そうこうしているうちにタヒミック氏の来社目的は、その映画作りで使用するビデオカメラを支援して欲しいのだと私はやっと理解した。私はサラリーマンなので、タヒミック氏が「カメラを貸して欲しい」「使わなくなったカメラを譲って欲しい」と言ってくれたら、私も上司に掛け合うつもりだった。しかし、彼からは一切そのような言葉は出てこない。私は意地になって、「何のために来たのですか?何がして欲しいのですか?」と繰り返し、その言葉を待った。埒があかないので海外広報からも応援をもらい、来社目的を確認するものの、彼はひたすら映画作りの意義を語り続けるばかりだった。結局、上司に相談し、型遅れのビデオカメラを3〜4台を提供した。かなり嵩張るので「フィリピンに送ります」と提案したが、「輸送途中に紛失してしまうので持ち帰る」というのでカメラ本体と付属品を裸で、手提げ袋か何かに詰めて手渡した。旧式のカメラであるが彼はたいそう喜んで持ち帰った。彼にとってのツールは、古いも新しいも関係ないのだ。この時の強い思想体験は今でも忘れない。私は強くはないので、困った時は具体的に人に頼るし、助けてもらう。しかし、彼の生き方には激しく同意したい。必要なものを必要な人に届ける。手助けが必要な人には手を差し延べる。言葉はなくとも、当たり前のことを自ら進んで言動できる人間になりたい。
2019年2月



