追悼 高畑勲先生
2018年4月5日に82歳で天国に旅立たれたアニメーション映画監督の高畑勲氏をしのぶ「高畑 勲 お別れの会」が、5月15日に東京・三鷹の森ジブリ美術館で行われた。お別れの会に出席資格があるほど高畑作品を見ていないので、会社での仕事中に心からのご冥福をお祈りした。
高畑先生は、私が勤めている会社主催の『東京ビデオフェスティバル(TVF)』というビデオコンテストに2004年(第27回)より参加していただいた(募集開始時点)。初年度の審査会から、羽仁進氏や大林宣彦氏、椎名誠氏らつわものを相手に忌憚のない作品評を繰り広げた。賞が決まるまで審査員は喧々諤々と作品や制作者の個、社会背景に至るまで徹底的に論じあい、ビデオ大賞作品の選考になると、それがあたかも自作の作品のように、正々堂々と思いをぶつけ合う。忘れられないのは、2007年(第29回)の審査会だ。内田セイコ氏作『Plays the air.』、Guillermo Constanzo/Teresa Bo両氏作『Fear no Evil(わざわいを恐れるな)』、長野県梓川高等学校放送部作『漢字テストのふしぎ』の3作品が大賞候補になり、どの審査員も一歩も引かず妥協点を探るために3作品を全審査員で見直し、その後もまた語り合い、最終的に大賞が3作品になった。時はすでに20時を回っていた。毎年、朝10時から錚々たる審査員が集まって100作品について語り合う鉄人審査会を経た入賞作品は、本当に価値がある。私は、その過程に立ち会うことができる日本ビクター(現JVCケンウッド)の社員であることに、感謝し、矜持をもっていた。
日本ビクター主催のTVFが幕を降ろした後、TVFは審査員が発起人となり、NPO法人『市民がつくるTVF』として引き継がれた。当然私も設立メンバーとして参画し、事務局作業を行った。NPOには資金がないので、高畑先生もボランティアで引き続き作品審査をしていただいた。NPOが貧しいながらも、審査のお礼に渡したお車代をその場で寄付していただいたことは、今でも鮮明に覚えている。やること、なすことが記憶に残るふるまいをする人間性を持ち合わせていた。
2013年11月に公開された『かぐや姫の物語』は、映像のタッチやストーリー展開がよかった。14年前に観た『ホーホケキョ となりの山田くん』には、まったく感情移入もできず映画館を後にしたのだが、『かぐや姫の物語』は、(失礼ながら)嘘のようにその世界に没入した。事務方としては、なかなか遠慮してきちんとお話しする機会がなかったが、その年の『市民がつくるTVF』発表会の懇親会時に、「『かぐや姫の物語』は面白かったけれども『となりの山田くん』は正直おもしろくなかった」と、話しかけてみたら、「えー、(絶句)まだまだ映画をわかってないね、もう一度見てみなさい(話はそれからだよ)」と本心から発話されたことが、今でも忘れられない。自作に対し、絶対的な自信と信念を持っているのだ。TVFの審査員は、皆“哲学者”だと思っている。作品に限らず、ある現象や言葉や感情や態度や意見や考えに対して、深く深く洞察し、裏の裏まで考え抜き、発言する姿勢にいつも感動した。
“事務方だから審査員とは遠慮して話さない”と書いたが、それは言い訳だ。実は、映画ファンの一人として、各先生と“映画”の話をするのは恐怖でしかないのだ。自分には知識も教養も見識もないのがバレるのが、正直恥ずかしいだけなのだと思う。高畑先生の教えのごとく、表面だけではなく、もっと深く、深く、広く、広く、思いのまま一つひとつの作品について考えなければならない。
筆を止めた後に、今思い出したが、毎年発行しているTVFレポートに作品評を書いていただいていたが、直筆の原稿に”高畑勳”を書いてきた時があった。「先生、お名前の漢字は、本当は(本名は)“勳”が正しいんですか?」って尋ねたら、「実は、自分でもわからないんだ」と真面目に答えてくれた。自分の名前がわからない!?なぜか、やっぱり“哲学者”だと思った。アニメーションの地平を切り開いたと言われる"アニメーション映画監督"の高畑勲というよりも、“哲学者”高畑勲という肩書きがふさわしい。涙。



