アメリカン・スナイパー
ー視界ゼロの向こうにー

" デイジー 花言葉 『平和』 "

34本目のクリント・イーストウッド監督作『アメリカン・スナイパー』は、全世界での興行収入が500億円を超える大ヒットとなった。戦争映画では、スピルバーク監督作『プライベート・ライアン』の歴代記録を17年ぶりに塗り替えた。
アメリカは、サダム・フセイン大統領の圧政や大量破壊兵器保有、アルカイダとの協力関係などを理由にイラクに開戦した。この物語は、アメリカ対イラクの戦争に4度派遣されたクリス・カイルが自ら共著で書き上げた実録ものだ。
クリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)は、160人を狙撃したとして、味方からは、“伝説の狙撃手”として英雄視され、敵方からは“ラマディの悪魔”と呼ばれ、懸賞金をかけられる程の腕前だ。クリスは、子どもの頃から厳格な父親に「人間には3種類ある。“羊” “狼” “番犬”だ。お前は、弱いものを守る番犬になれ」と教えられた。また彼が大切にしているものは、“神” “国家” “家族”であり、その信条に基づき戦場では、その生き方を貫き通した。私はイーストウッド作品を見るとき、彼が映画で、何を描き、何を伝えようとしているのかを精読するかのようにスクリーンを見つめている。本作では、1回目から4回目までのクリスの戦争体験を肉体的、精神的な痛みを感じとりながらスクリーンと対峙していた。これは、たしかに戦争でPTSD(心的外傷後ストレス障害)に犯された軍人の残酷な物語であり、社会問題作と言えよう。安易に戦争を仕掛けてはならないという反戦映画であり、見方によっては愛国映画にもとれる。しかし、本作は反戦論でも主戦論でもない映画の極みへと到達することになる。
クリス・カイルは4回目の派遣で1920mの狙撃を成功させるが、敵方に居場所を知られることになり、一斉に襲われ撃ち合いになる。そしてその最中に、大砂嵐が襲ってきて、スクリーンいっぱいに黄土が広がり視界がゼロになる。その瞬間、スクリーンとは真逆に、私の心の土煙はパッと晴れ、イーストウッドの言わんとしていることが腑に落ちる。つまり、戦場は大砂嵐によって敵、味方がわからなくなり、乱射戦になっていく。いま銃を撃ち合っている相手が、敵なのか味方なのかがわからない現状は、この戦争の大義や結果を暗示している。敵か味方か。英雄か悪魔か。愛国か売国か。正義か不義か。善か悪か。暴力か優しさか。勝ち戦か、負け戦か。前後左右もわからなくする大砂嵐が、スクリーンをいっぱいに覆うことによって戦争そのものの混沌や混濁が浮かび上がってくる。冒頭のシーンを思い出して欲しい。爆弾らしきものを隠し持つイラク人女性と子どもは、民間人なのか仲間を殺そうとしている戦闘員なのかわからない。建物の屋上からスコープ越しに照準を合わせながら、考えを巡らすクリス。彼はそれを爆弾と判断したと同時に引き金を引く。子どもが撃たれ、爆弾は転がる。その爆弾を拾って戦車に向かって投げようとする女性を躊躇なく射殺するシーンだ。戦争当初、彼には敵か味方かを判断する自分なりの正義があったが、4回目の派遣後においては、無意識のうちに確固たる自信が揺らぎ始める。イーストウッドの映画の極みとは、すなわち、その揺らぎとは一体全体何なのかを考えるために、スクリーンを”黄土板=黒板”にして、映画館を仮想教室に作り変えることにある。
2015年3月



