ワンミニッツ・ビデオ・コンテスト 三上健氏に聞く

第1回ワンミニッツ・ビデオ・コンテスト(公益財団法人日本ユニセフ協会主催)の実行責任者である日本ユニセフ学校事業部の三上健氏に、はじめてトライした映像コンテストの感想やこの活動の意義について聞いてみました。昨年インタビューをしたにも関わらず執筆が遅れ、アップのタイミングを逸してしまったので、第2回ワンミニッツ・コンテストの募集を機にそのときのインタビューを掲載します。


―最初に、ワンミニッツ・コンテスト立ち上げの経緯を教えてください

 これは最初に、五嶋さん(東海大学文学部広報メディア学科准教授)から、2009年の10月に『ワンミニッツ・コンテスト』という企画があります、ユニセフ・ジュネーブ事務所も既に取り組んでいるので(日本でも)一緒にやりませんか、と提案を受けました。実際に調べてみたところ、ユニセフとか、ヨーロッパ・ファウンデーションとか、ワンミニッツジュニアとかが、一緒に行っているということがわかりました。その際、インターネットで映像作品を見ると、子どもの考えていることや言いたいことが、画面を通じてきちんと伝えられる企画になっていました。これは文章とか音楽とか絵とか、いろんな方法を通して自分の意見や考え方を伝えるというのと同様に、映像を使い、今の時代を切ること、映像を使い考え方や意見を表明することは、今の時代にかなりフィットしているのではないかと、思いました。それから、映像というメッセージは、ものすごく強く、学校での有意義な教育に繋がるのではないか、と考えました。これは、子どもの権利条約第12条、「子どもの意見や考え方をちゃんと聞く世の中にしましょう」という理念にも合っています。日本でこの企画を進めるのに当たり、日本の子どもは、果たして自分の考えていることを聞いてもらっているか、あるいは大人は関心を持っているか、そういった関心を持ってもらうときに、こういった現代的なやり方が効果的ではないか、子どもが主体的になる方法として、現代に相応しいやり方ではないかということを考慮に入れながら、また五嶋さんの熱心さもあって、この企画を詰めていきました。

―ヨーロッパの活動は、経済的にも、社会的にも、政治的にも恵まれていない開発途上国の子どもたちを対象に、ワークショップや上映会を行なっていると思います。先進国で、言論の自由もあり、どちらかといえば、恵まれている日本でこのような活動をするという点について違和感なかったですか。

 それは環境が違うので、環境に応じたやり方をすれば良いと思いました。この活動が始められた頃は、紛争の影響を受けた開発途上国の子どもが対象でした。教育の機会がないとか、あるいは紛争のために、自分の家さえ追われる、という時代を過ごした子どもたちが、紛争が終わって自分たちが暮らした厳しい現実を見据えながらも、これは平和教育で使われた授業だったようですが、将来仲良くするためには、なあなあで過ごしちゃ駄目だ。ちゃんと現実を直視して、それを基本として、平和をつくるためにお互いにどう寄り添っていけばよいのか、お互いにどう協調関係を作っていけばよいのかということを、カメラで切り取って、きちんとした映像メッセージとして発信するものだったようです。
 それでは日本の場合はどうでしょうか。子どもが自分の考えを大事にしてもらえる状況なのか、と大人の都合で子どもが振り回されているのではないか、自分の考え方を言えずに、大人がこういう風に言えば喜ぶんじゃないだろうか。例えば、親であったり、教師であったり、自分の考えを抑えて、大人が好むような形で、子どもが物言いをさせられていることもあるのではないでしょうか。これは子どもの成長にとって、どうなんでしょうか。親子であっても、考え方は全く同じではないはずです。異なる考え方をきちんと出しうる状況であるのかと振り返った時に、残念ながらそうではないことが多いようです。日本の教育を指して、『盆栽型教育』と呼ばれる事もあるようです。箱の形になるように子どもを躾けるというものです。それだと子どもの自由な発想を制限することになってしまったりします。そうではなくて、倫理的に問題がないのであれば、子どもが子どもなりに主体的な感覚で、その年齢の成熟度に応じて、自由な発想を伸ばすようなやり方があってしかるべきではないか、そのひとつの在り方として、映像を使った自由な発想の展開をしてもらう。これは今回やっている「地球市民になろう」という、企画にぴったりだと思いました。みんなが地球を背景に生活をしていく、そういったところでどういった考え方、どういうスタンスをとればいいのか、ということを日本の子どもも学ばなければいけないし、育まなければならない事だと思います。今の日本は情報化の中で流されている子どもが多いのではないでしょうか。こういうやり方を通して、情報の波に流されない子どもを育て、そして、子どもの可能性を広げられるなら、素晴らしい事であり、日本の子どもたちの状況を考えても、やらなければならないことだろうと思って進めたわけです。

―五嶋先生がワンミニッツ・コンテストを実現するために、三上さんを口説いたわけですが、そのなかの説得材料のひとつとしてワークショップがあります。コンテストを始める前に、教職員や子どもたちを対象にしたワークショップをやりましたが、その感想や手応えみたいなものが、どのようなものであったか教えていただけますか。

 映像を制作するということなので、何人かの人がグループを構成し、島となってやるのではなくて、一人ひとりがどこかに行って、素材を撮ってきて、各自の自由な発想で作るのであれば、ワークショップは大した役をなさないのではないかと考えましたが、実際は違いました。
 仮に一つのグループに5人、6人いるとします。各自が一つずつ企画を出し合い、その中でみんなが納得する構想の素晴らしいものをひとつ選びます、その他の人は、そのみんなで選んだ最も良い構想の中に、自分の良いアイデアを入れるようにする手法がとられるのです。5人いるとすれば、そのうちの一人のストーリーが選ばれます。そうすると、グループの他の人の考えがボツになるので、機能しないのではないかと思いました。実際この方法でやってみると、みんなで、共同で作る楽しみ、喜びが勝っていました。お互いに喧々諤々やりながら、意見を重ねて、作り上げていく喜びのプロセスなり、作品が完成した達成感は、こういうプロセスを経てきたからこそだったのです。五嶋さんの手法は、こういう時代にあってみんなで一緒に考え、みんなで一緒にやり遂げる感覚を、同じ映像をつくることによって育てるにはいい方法だと実感でき、教育的効果もあると思いました。
 また、五嶋さんのフローチャート*のやり方で、参加している人たちの反応をみていると、「これは面白い」のだと、「これは楽しい」んだと、やっぱり学びというのは楽しさがあると身につきます、そういう部分を実感できたので、ここ(日本ユニセフ協会の施設)でワークショップをやった意味も高かった。もしそれによって駄目だと「面白くも何もない」、また作品が出来なかったとなると「苦労は報われなかった」、「やっぱりみんなの意見を合わせるから駄目なんだ」みたいになったのでしょうか。それがありがたいことに作品につながって、そういう反応が出なかった。これはワークショップをしたからこそわかったことで、これは作り方として、学校現場で子どもを対象にするにはいいアプローチかなと、という感じを受けました。

―コンテストを実施するにあたり、予算についても体制についても簡単なことではなかったと思いますが。

 お金については最初から大きな予算を動かせるわけでもなく、できるだけお金を掛けずに行おうと思いました。身の丈にあった予算で地道に行おうとしました。
 コンテストには人手が多くかかるので、学生の皆さんの協力を得られたのは非常に有り難かったです。学生の皆さんの力を借りるというのは準備が大変な部分もあります。いろいろと学生に分かりやすく伝えなければいけないとか、です。でも終わったあとの達成感は、格別でした。若い人たちが参加する企画に若い人が事務方としても関わる、その双方が合わさったときの効果や意義が、最初から分かっているつもりでしたが、実際やってみて、思ったとおり、とても大きなものでした。
 多くの学生を入れば入るほど、手がかるのかもしれません。しかし、学生の皆さんの参加があったので活気があり、充実感がありました。学生の皆さんの育っている様子を見られるのは、先に大人になった人間にとってはうれしい光景でもあります。そして、学生の皆さんは真摯な諸君が多く、手間や面倒を吹き飛ばす程でした。彼らの貢献度は高く、そして、感謝しています。

―コンテストにはいろいろあって、若い人たちが中心のコンテストもあれば、シルバー世代が中心にやっているコンテストもある。見にきてくれた他のコンテスト主催者もうらやましかったのではないかと思うほどの完成度がありました。このコンテストに参画してもらった学生さんたちに何かメッセージをいただけますか。

 震災を挟むと準備段階から約2年間、このコンテストによくも飽きずに付き合ってくれたなと、頭が下がりました。日本の子どもたちの育成のために、(学生たちが)世の中にこのようなメッセージを出していくのが大事だと、ちゃんと踏まえていないと関わってこられないし、その思いも強かったんじゃないかと、思います。それは、我々にとっても彼らが参画してもらわないと、一切機能しなかったところです。彼らの思いとか、継続性とかは大きな要素でした。そこのところが、この企画が上手くいった大きな要因の一つであることは間違いありません。彼らがやりとげたという経験を、この思いをこれからの人生においても、進路においてもつなげていければ、大いに役立つ事だと思います。そのくらい大きな経験を得ているのではないかと思います。

―募集を終えて、今度は審査、発表会と怒涛の日を過ごしたのですが、予備審査、発表会と終わってみてどんな感想を持たれましたか。

 365作品も応募が来たので、これをどうやって最終選考で30作品に絞り込むのかと思ったのですが、ものすごくきちんとした基準、選考にあたっての姿勢は自分でも驚くくらい厳しい判断基準で、学生事務局が選んでくれたので、これがなかったらファイナルも活きませんでした。したがって、一次審査で2日間、朝10時から夜の9時まで、彼らがそこでやってくれた姿勢がなかったら、素晴らしいファイナルにもならなかった。その意味では、この企画が成功したという陰で目立たないけれども、ものすごく大きなポイントになったのが、一次審査でもある予備審査でした。
 それから当日の発表会で、学生が何回も映像の出し方から、司会から、機材から、広告から、当日の演出まで、最初から最後まで関わってくれた、それが非常に大きい。それを彼らに任せて、主体的に動いてもらえたからこそ、若いフレッシュな感じが当日出せました。これが、大人が言ったように動いていたのであれば、そのフレッシュ感は、多少冷めた感じが見えたでしょう。そこの部分は彼らの色を出すように司会役の人も含めて進めてくれたから、発表会の成功は学生の自由な発想が活かされたと思います。入賞した人も明るい人が多かったと思うのは、そういう発表会当日の学生の役割があったがために引っ張られたのではないかというところで、学生の予備審査での働き、あるいは当日の働きは、これはお世辞ではなく、極めて大きな成果につながった部分の大きな要素だと思います。したがってこの色は、ぜひ2回目、3回目と続けていきたい。そういった学生が多く参加してくれれば、この企画のすそ野はもっと広がると思っています。

―学生主体のイベントは、楽しくはあるのですが、どちらかというと、甘さとか、緩さとか、自己満足とかの印象をもつこともあるのですが、今回のイベントの流れは、そんな雰囲気はなかったですね。

 例えば、大学の学園祭等は、自分たちの内輪で行うという感覚が強いと思います。その為、ついつい詰めが甘くなる事もあるのではないでしょうか。それに対して、これは「ユニセフという団体が公式に行う事業であるという事を肝に銘じて参加して欲しい」と、学生の皆さんに何度も言いました。それ故、ちゃんとやらなければ、第1回で終わってしまう。1回目の今回がきちんとしたものでなければ、それで烙印を押されてしまう。それから先の可能性はない。したがって、この辺でいいだろうと緩めてしまったら、これは残念ながら通るものではない。そこは学内の行事とはちょっと違います。それについて、台本の読み直しについても間島さん(駿河台大学メディア情報学部准教授)が、これでもかというほど手直しをして、当日にきちんと反映してくれました。やっぱりまわりの人間もこの辺でいいだろうという甘い考えではなく、きちんとしたものはきちんとやることによってしかいいものはできない。その姿勢をまわりの、例えば、間島さんが当日の仕切りをちゃんと台本の制作を含めて、担ってくれたり、予備審査では川合さん(文教大学情報学部システム情報学科准教授)が、厳しい姿勢で、「審査関係者以外は入らないで欲しい」「直接に選ぶ立場でなかったら、雑音になっちゃうから邪魔しないで欲しい」と、キリッとした感覚で指導をしてくれたのは、我々や学生の皆さんにとって、実のある経験になりました。それから五嶋さんは、「社会に責任ある活動に参加しているので、その姿勢を忘れてはいけない、そうでないとこれからいろんなことをやっていくときの基本にならないし、達成感もない」と指導していました。こうしたことによりこの一連の活動で、きちんと仕上がったのではないかという気がします。

―たしかに準備段階を疎かにして失敗するのと、徹底的に事前準備をしてドジるのとは価値が違います。結果的に失敗があったとしても、それが準備不足なのか、手を抜いているのかは、参加者はきっとわかると思います。

 学生も授業があったり、試験があったり、忙しい中よく付き合ってくれました。希望的にいうと、やったことが極めて満足のいくものだったと感じてもらえれば、一番いいかなと。それで今回メインになったのは3年生でしょ。もう就職を間近に控えた彼らが、この時間を使って得たことは今後の彼らの在り方に役に立ったと思ってくれれば一番ありがたいですね。

―初めてということで試行錯誤もありましたが、みんなが頑張った結果、作品数も、作品の質もよかったと思います。

 来年が真価を問われるところじゃないですか。次回の集まる作品が少ないとか、関係する学生がいなかったとなれば、今後は厳しいなと思いますね。そこは心を引き締めていかないといけません。

―作品応募というところでは、1分間という制約は、実は厳しい制約なのではないかと、思っています。通常の映像コンテストやフェスティバルだと10分、15分、20分とか応募作品の時間規定に幅があるので、どこかに当てはまることができます。1分間の作品で365作品も集まったと聞いて、正直驚きました。

 本当に今回は予想を超えて、いろいろな学校から応募がありました。まったくお付き合いのない高校から応募があったり、特にアプローチをしたわけではないけれども、作品が送られてきたりしました。だから、きちんと告知をして、アプローチをすることができれば、反応は読めるなとも思いました。したがって、たまたま今回うまくつながっただけで、2回目にそれが維持されているかというところに、真贋が出てくるのではないでしょうか。だから2回目は、ぬか喜びで終わってしまわないよう、気を引き締めてやっていかなといけない。今回300本以上の作品が集まったことで、逆に2回目は、何をするのか、やっていくのかを問われているような気がしています。

―今後、継続していくためにはビジョンや目指すべき方向性などを訴求していく必要があると思います。

 来年トピックを「地球市民になろう」から変えようという意見もあるみたいですが、「地球市民になろう」というのはいつまでも続くコンセプトなので、それを維持しながら、もう少し落ち着いた発想で、地球的な視野を持って考えなければなりません。あまり時代に流されるようなことを、運営側がしてはいけない。それが時代性なり、普遍性なりが変わってしまったのであれば別だろうけど、コロコロ変えるものでもない。今年はこのテーマでやったから来年は変えたほうがいいというわけではない。それは陳腐になったり、古くなったりしたら別だろうと思うけれども、そんなにあくせくするものではないと思っています。

―告知の仕方や審査方法の改善、発表会のやり方は必要に応じて変えてもよいと思います。

 テーマである「地球市民」という言葉は、つい最近できた言葉であるならともかく、もう30年近くも使われていて、一般語に近く、定着した概念になっています。これまでは実体が伴わなかったけれども、地球環境が危機的になったいまこそ実体を伴わさなければならない時代になりました。このコンテストの理念を表すメッセージとしては『地球市民になろう』という言葉が相応しいと思っています。

                                           2012年8月

その後も、平和や人権についてお話を伺いましたが、その内容は膨大な量になってしまうので、残念ですが割愛します。
*五嶋正治氏のフローチャートは、『映像制作で人間力を育てる』-メディアリテラシーをこえて-(田研出版株式会社)第5章に記載されています。

最後に、第2回ワンミニッツ・コンテストの内容は、こちらです。