日米同時刻開催映画祭 シネリンピック 古新 舜さんに聞く

2009年8月に行われた世界初同時刻開催映画祭『シネリンピック』について主催者の映画監督古新 舜さんに詳しく聞いてみた。

―日米同時刻開催映画祭『シネリンピック』を立ち上げた目的

私は初めての短編映画を作った後に国内には多数の映画祭が存在することを知っていきました。初監督作品がいくつかの国内映画祭で入賞したり、グランプリを頂いたりしていく中で、客観的な見方をすると、賞は、自分よりもこちらの人にあげたいなという気持ちになることが多くありました。自分の作品を評価してもらうのは嬉しいのですが、映画祭というのは主観的なもので評価されていると感じていました。何百本の作品の中から賞は決まっていくのだけれども、違う見方も出来るのではないか。若い才能の発掘って、賞を獲れなかったからといって、終わってしまうのはもったいないので、まずはそこをもう1回掘り下げてみたいと思いました。日本の土壌は、お金をださないと国際的なものができませんが、いまはインターネットがすごく普及しているので、日本とアメリカの映画を戦わせて、本当に戦わせたら日本が勝つかもしれないという要素を“短編映画”と“若手”というところにスポットを当ててトライアルな企画を立ててみました。

―コラボレーションについて

私はショート・ショート・フィルムフェスティバルの出身監督として活動しております。俳優でありショート・ショート・フィルムフェスティバル代表の別所哲也さんがみなとみらいに劇場をつくり、外交が盛んでクリエイティブな文化振興が深い横浜という土地柄、また昨年は開港150周年であることを考えると今回のような新しい試みを開催する場所として横浜が相応しいと考えました。また、外部の巻き込み方として、インディペンデントというものに興味があるFMヨコハマさんや(株)サンディさんなどに協賛企業として入っていただきました。
今回は短期決戦で、自分がロサンゼルスでの招待上映で渡米したのが4月の中旬で、その際に向こうのスタッフと企画の発起を致しました。映画祭の開催期日が8月2日、残り3ヶ月余りでやらなければならない状況で、ある意味突貫工事でしたので、柔軟に考えていただける企業さんに協力を求めながら、毎日奔走をしていました。

―そのほか苦労や困ったことはありましたか

同じ時刻で開催して、世界の裏側と日本をつなげるという世界初の企画をインターネットで実証することが出来ました。ただやっぱり準備期間が短かったこともあり、企画自体は面白かったのですが、普通の映画祭を企画するのも大変なのに、プラスアルファのハードルとして、アメリカと日本を中継すること自体が大変な作業だったので、宣伝告知からゲネプロ(舞台で行うリハーサルのようなもの)まで出来なかったので、次回は検証してしっかりやってみたいと思っています。
また、アメリカのほうはある程度準備が出来ているチームがあったのに対して、こちらのほうはゼロからのスタートだったので、日本の体制づくりが不充分でした。アメリカの動員数と日本の動員数では、みなとみらいという土地もあるのですがお互いのチーム体制・スタッフの状況や、細かな進捗確認ができなかったことが反省点になったと思います。

―日米の動員数はどうだったのですか

アメリカが300人、日本は50人でした。映画祭は3部構成で、入場料が第一幕、第二幕合わせて2千円、第三幕・クリエイティブ交流会は千円、全プログラムに参加すると3千円になります。インディペンデント映画としては、一般映画と比べた場合は割高かもしれません。本当はもっと低く設定したかったけれども、劇場費や中継費などの費用もあり、それが出来ませんでした。その部分を補うためには助成金など、中継というインフラを使うのだったら、通信網に特化した行政省庁や通信会社などにからむということが最低限必要だったかもしれません。

―実際どんな体制だったのですか

日本はボランティアの有志で15名くらいです。当日は10名くらいで運営ですね。トラブルがあるだろうという前提で動いていたのですが、ネットがつながらないなど、トラブルのトラブルが発生したり、事前に調べて準備していたにも関わらず当日は違っていたこともありました。これはチームを統率する上での自分の甘さでしたので、次回やるときに改善していきたいと思っています。

映画祭をやってみて、気がついたこと。発見したことはありますか

先ほどの体制作りの不備はあったものの、お客さんとか審査員とかはすごく喜んでくれました。また、私は裏方でモニターをダブルでチェックしていましたが、アメリカの評価とか笑いがいきなり来るとか、日本ではここで笑うのに、アメリカではただ見ているだけとか・・・。またアメリカではすごく笑ってるんですけど、日本はじっと見ているとか・・・。アメリカでは拍手喝采、ワッハッハと笑って、やはりココを突いてくるんだよねとか、鑑賞や評価の仕方の比較が出来ました。あと、結構評価のズレみたいなものが国を介してではなく、一般的なお客さんの目線で見た面白さの差異が見えたので、ここは日本だからアメリカだからと比べるのではなくて、中身の質で見ているなと発見できました。

―この映画祭でどうしてもやりたかった、こだわったところはありますか

そうですね、日米各5作品選ばせていただきましたが、実際私が広島、山形、横浜などいろいろな映画祭に行って観ていたものなので、ある程度作品に自信がありました。自分が面白い、自分がグランプリをあげたいと思った人が相手とどれくらい戦えるかという期待もありました。自分が選んだ作品の評価がかなり高かったので、映画祭の見方として、1個の主眼も大事だけれども、実はちょっとはずしてみると、その主眼すらも実は違った評価も出来るなと思いました。アバウトさが前提としてあるのだけれども、アバウトさももうちょっと洗練してみると、例えばハリウッドの考え方でいうと、日本もこういう風に見えるよねとか、お互いの文化意識の交流とか認識の違いというのをもうすこし絡めさせると他者比較も出来るし、そういう意味では今回やった映画祭は次回につなげる価値があったと思っています。

―3部構成で開催した映画祭のコンセプトは

私はインディペンデントのオリジナル系の作品を発信する活動をしています。映画祭のコンペティションに私が入ってしまうと客観的に選定され、運営されている映画祭の客観性がとれなくなってしまうということもあり、今回自分の作品は外しました。そこで二幕目に、自分の作品に作家として関心を持ってくださる方々が多かったので、この機会に、新作『koganeyuki』のお披露目も兼ねて自作10作品を上映しました。第三幕は映像に関わらず、ペインターであったり、写真家の方々とジャンルを越えることによって、そこからまたいろいろな方とのコラボレーションが生まれるのでないかと3人の女性の方にご協力をいただき個展、グループ展をやりました。

―将来の構想は

次回は来年3月に開催する予定です。日本とアメリカとの今回の経験を元に、これを一度、国内の地域に掘り下げていきたい。地域と地域を、映画を通じて交流をし合う「地域映画合戦」の開催を考えています。いま私はデジタルハリウッド大学院に在籍していることもあり、“ソーシャルメディア”ということに大変関心があり、今現在、宣伝やコミュニケーションのツールとしてキーになっています。これから映画という媒体が、離れた地域の人々とのコミュニケーションを劇場を中心にしながら、どんどん広がりを持っていくと思っています。映画は劇場で観る楽しさが根底にあります。そして、その楽しさを多くの人たちに関心を持って頂く導線として、インターネットのインフラを積極的に活用していきたいと思っています。

                          2010年5月13日 デジタルハリウッド大学院(秋葉原)にて

後記
いつもアグレッシブな古新さん。一度、古新さんが企画した交流会(飲み会)に参加させていただき、いろいろな方と酒を酌み交わしました。自分が設定した場で、人と人が交流する光景をやさしいまなざしで見つめていた古新さんの顔を忘れることができません。私も古新さんを見習って、人のために役立つ活動をしていきたいです。