容疑者Xの献身

―直木賞作家 東野圭吾の同名小説を映画化―

" ヘリオトロープ 花言葉 『献身的な愛』 "

(C)2008 フジテレビジョン/アミューズ/S・D・P/FNS27社
出典:公益財団法人ユニジャパン

かつて同じ帝都大学に通い、帝都大学に残り物理学者として研究を続ける湯川学(福山雅治)と今では高校の数学教師をしている石神哲哉(堤真一)とが、隣人花岡靖子(松雪泰子)の犯した殺人事件をきっかけに再会する。

この作品は直木賞作家東野圭吾の小説を映画化したものである。小説の映画化には文芸作品のようにありのままに映画化するか、ミステリー小説のように謎解きだけに収斂していかないように、主人公の性別や事件の起きる場所や時代の設定などを巧みに置き換えて表現する必要がある。この映画も例外ではなく、原作では石神を「ずんぐりした体型で、顔も丸く、大きい。そのくせ目は糸のように細い」と描写している。そして、靖子が昔世話になった工藤邦明(ダンカン)は、小説では具体的に二枚目とは描写されていないが印刷会社の社長で、身なりや持ち物から男前と想像できる。ダンカンには失礼だが、つまり工藤と石神の容貌を置き換えているのだ。堤演じる石神の容姿は正直言ってかっこいい。監督の西谷弘の映画的たくらみは、この容貌にある。ビルのガラス張りの壁面に映る石神や湯川の輪郭。弁当屋で湯川と工藤と石神が出会う象徴的なシーンで、鈍い嫉妬心と動揺を鏡に捉えた石神の顔。殺人を犯したあと玄関の壁掛けミラーに映し出された靖子の乱れた形相など、この映画はまさしく“容貌” の映画なのだ。そういえば、冒頭の八木亜紀子と石坂浩二のニュースのシーンは4:3のテレビ的なバストショットで始まっているのは意識的だろうか。

さらに西谷は映画的試みを実践する。湯川が講義をする教室や刑事の内海薫(柴咲コウ)たちのいる会議室には黒板、白板が存在する。つまりはその壁(黒板・白板)は映画館のスクリーンであり、人々は映画館の館内のように並んで座っている。また秀逸なシーンは、クリスマスに路上で歌を歌いながらろうそくを手にして行進する子供たちである。そのろうそくの炎はまぎれもなく、映画の光であり、“映画”を具現するかのように取り入れたシーンに違いない。それにしてももったいないのは、石神が教える教室の生徒たちは、机の整列を無視して、各人各様にバラバラで、黒板をいっさい見ようともしない点である。黒板を前にして、整列して座っているシーンを一度も撮ることなく2度導入したカット。映画に敏感である西谷が、あえて映画の定義を破った意味を考えるときに私は、「映画のスクリーンを正視しろよ」という観客へのメッセージとして、この導入シーンを理解した。西谷弘の高度な仕事ぶりが3作目につながることを確信した作品である。

2008年10月