ジャッキー・ブラウン

―世界がタランティーノを待っているー

" カネノナルキ 花言葉 『一攫千金』 "

(c)1997 MIGHTY MIGHTY AFRODITE PRODUCTIONS,INC.ALL RIGHTS RESERVED.

『パルプ・フィクション』が94年カンヌ国際映画祭グランプリをとって、はや4年が過ぎた。もうそろそろタランティーノ・ワクチンが切れそうな頃で、どこへでもいいから走り出したい気分だ。そんな人を昂揚させる映画が、タランティーノ映画だ。映画を見る人、特にタランティーノ映画を見に行く観客は、出来るだけ良い席を確保しようと前の上映のエンドタイトルが始まったと同時に館内になだれ込むだろう。自分とスクリーンの間の距離が一番合う席を確保する為に映画ファンはしのぎを削ってきた歴史があるからだ。

パム・グリアーが空港のウォーキング・エスカレーターに乗り出したところから「モンテ・カルロ・ナイツ」のテーマ曲に乗って、すべり出す移動撮影はご機嫌だ。音楽に身を任せながら、壁の色や、パム・グリアーの顔や目や髪の毛や制服の色やワッペンにまで視線を注ぐ。私たちは、この映画の何に興奮するのか?それはまさしく映画愛である。映画愛とはすなわちスタイルのことである。

タランティーノは今回もまた、時空間を巧みに操りながらサスペンシブに映画を盛り上げ、楽しませてくれる。『パルプ・フィクション』のような大掛かりな物語をループ状に組み立てはしなかったが、映画の一部にしっかりロバート・フォスターがファッションモールの中の映画館から出てくるシーンで誰でもが分かるようにループ編集をコソっと挿入するところは心憎い。

なぜ、スタイルにこだわる必要があるのか。映画監督の“スタイル”を批評家が、または観客が“作家性”と勝手に決め込んでしまうのは問題がないとは言えないが、確かにタランティーノの映画には”スタイル”が存在する。何を撮りたいか、何を伝えたいかという、明確な目的意識がそこに表現されているからだ。

『ジャッキー・ブラウン』はパム・グリアーとロバート・フォスターとの純粋な愛の物語である。ラストシーンで二人の感情がなにかの拍子で爆発しそうな緊張感をただよいはじめたころ、私たちは急に胸がドキドキ鳴り始める。しかし最後までなにも起きないのである。何も起きないことが感動を呼び起こすのである。したたかな計算(二人のキスシーン)の上で、私たちは映画の無上の喜びを享受するのである。

1998年5月